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きょうだい児について考える

長いよー、なんてったって1ヶ月以上かけて
ちまちま書き溜めましたからね!


耳を疑うような発言をされて目が点になることがある。
極力表情に出さないのが大人、と思っていた時期があったのだが、
あまりにも、の場合は、もうあえて顔に出すようにしている最近。


「この子は障碍があるから・・・、将来のことを考えて、
 こっち(健常児のきょうだい)を産んだのよ(と私に)。
 ね、よろしくね(と健常児に」
「あんたはおねえちゃんなんだから、大きくなったら
 この子のこと、ちゃんと見るんだよ、私たちの代わりに」
「おにいちゃんは障碍があるから、大きくなったら、
 あんたがちゃんと面倒見るんだよ(と妹や弟に」といった、
障碍児の親の言葉。

障碍児の親が、いわゆる「きょうだい児」に放つ
鎖でがちがちに縛るためとしか思えない言葉。

将来を考えたら確かに不安材料が多い、そういうなか、
きょうだい児が力になってくれるのであれば
親の不安は軽減するし、本人も環境を極力維持できるだろう。
そういう気持ちは分かるが、受け入れられない。
ぞっとする。
一方的に託されて選択肢がないのではあんまりだ。
ヒトとして間違っていると言われたとしても、
障碍を持つきょうだいがいるから、将来の夢を諦め、
自分の目的のために自分の時間を自由に使えず、
世話があるからと家を出ることが叶わないのであれば、
きょうだい児の自由や自立はどこにある。

こういった発言を聞かされる都度、

親のお前の仕事は、
次の世代にお前の果たすべき仕事を丸投げする
ことではないはずだ、と親に対して強く思う。
次の世代を、重い言葉で縛り付けて大きな負担感を持たせて
潰してしまうことではないなずだ、と思う。

*******
言葉の綾だったり
伝え方の問題だったり考え方の違いだったり
するかもしれないが、
障碍を持つ子どもが居て、きょうだい児がいて、

きょうだい児に対して、
「私たち親が死んだあとは責任持ってよろしく!」
「私たち親は学校では何もできないから、
 同じ学校に居る間はきょうだいのあんたがよろしく!」
「私たち親は放課後の外では何も出来ないから、
 一緒に遊んで世話もよろしく!」
こういったことを悲壮な顔であるいは笑顔で親が言い続けて、

ココロをめちゃくちゃにされてしまう、
あるいは滅茶苦茶にされて今現在まったく
生きていて幸せだと思ったことがないとまで言う
健常の「きょうだいじ」が
一体何人いるんだろう、と本当に思う。
今現在、苦しんでいる自覚すらなく思い悩んでいる
健常のきょうだい児がどれだけいるだろうと本当に思う。
きょうだい児のサポートで、
きょうだい児が吐き出す話を聴いていると。

*********
うちは、子供ふたりともが発達障碍と確定するまでに
6年以上の時間がかかっている。
発達障碍であるというサインは、知識を持った今ふりかえれば、
実は沢山あったけれども、見逃してしまうようなことばかりで、
親の私は『手強い!』とみなして当たっていたし、
所謂「専門家」も異常とまでは考えなかった。

だから、ずっと「健常の、ちょっと手強い子供を育てている、」と言う
毎日を初期は送っていたのだ。違和感と疲れを強く感じつつも。

*****

大人でも手に余る手強すぎる2号を
1号に任せるのでは、
どちらにも悲惨だ、と思って、任せていなかった。

ときどき、公園等で弟が怪我をして「アンタなんでちゃんと
見てなかったの!!」って上の子を叱る親を見るけれど。
そういうのに対して「いやいや、弟君の安全確保は
親のアンタの仕事であって。うえの子だって公園にきたら
遊びたいでしょう。親のお前が何言ってんだ」と思っていて、

いざ自分が二児の母になってそのあとも、
1号に押し付けるようなマネだけはすまい、と
思っていたから、
年令差が5才あり異性のきょうだいということもあって
一緒に楽しく遊ぶのにも正直無理があるので、
基本、2号のお供や世話は親の私だった。

てか、『親が子供を見る」ってのは当たり前だと思う。本当に。

いやいや子供に子供を任せることで、
責任感とか自主性とか芽生えるし、上下関係も学ぶし、って
言う大人もいるけど、それは健常オンリー。

自閉の特性を持っている子供は、子供同士かためても、
上下関係の機微だとか年令相応の過ごし方とかしないよ。
経験から学べるのであれば自閉症の診断名はつきません。
衝動性を抑えられるのであればADHDの診断名はつきません。

集団行動が出来ないのだから、きょうだい児の言うことなんて
ほぼ聞きません。交通ルールを守ることも難しいのです、
衝動的に道路に出たり、何かがスイッチになって
走り出したりします。そういう子供の『世話』や『安全』を、
健常のきょうだい児に任せてはいけないと思うのです。
それは、もう、やりかたによっては親の責任放棄だと考えてます。

健常という判断の中で過ごしてしまった時期、
それでも2号が手強いということは分かっていたので、
1号に任せたら1号が潰れてしまうなとみなしていた。

軽度といっても
自閉症だったりADHDだったりといったハンデがあると
分かっている、そういう子供を、未成年に丸投げって普通にどうよ。
しかも、きょうだいだからと言う理由だけで。

だって、通級や個別級の、大人の担任や担当に対してすら
あるいは主治医に対してすら病院スタッフに対してすら、

『子供のことをちゃんと分かってくれていない」
『困り感についての理解がまだまだの人だ」って
思ってしまうのが、大人の支援者に対する日常茶飯事なのに、
子供のきょうだい児に
100パーセントの理解と受け入れだけでなく、
発達障碍児の安全確保と徹底した保護を求めるなんて・・・。

少なくとも私はそういう風に考えていたので、
1号は1号で、別行動で、友達と遊ぶ、と言う感じだった。
1号が家に誰かを呼ぶときは、2号も家で過ごし、
ただし基本的に別部屋で、1号の友達と2号の交流は10分もない、
そんな感じで。
かといって分断しているわけでも避けているわけでもないので、
普通に1号が「オヤツの追加OK?」とこっちに着たり、
あるいは2号が『一緒にスゴロクやりませんか』と誘ったり、
1号と友達が宿題をする横で2号と私も幼児教材に取り組んだり、
みんなでゲームして過ごそう!とかそういうのは、あった。

ただし2号の影にはワタクシあり。
2号が、ゲームの勝敗にこだわりすぎて癇癪につながる前に、
2号の無頼な態度が1号の友達の機嫌を完全に損ねる前に、
距離をおいたり、間に入ったり、フォローの言葉を入れたり、
そういうことをするようにしていた。

健常だとみなしつつ、そういうことをしていたのだから、
周囲から見たら「過保護な親」に映ったと思う。けれど、
結果から言えば、彼は発達障碍だったわけで、人間関係では
早期介入が正解だった。大人が小さいときから
ルールを教えていきましょう、大人が環境操作をしながら
経験をつませて自身につなげていきましょう、が正解だったので、
間違った方向のサポートではなかった、模様。
結局、診断名があるかとか何かとかじゃなく、
実際の子供の様子に合わせて、障碍の有無関係なく、
必要があるならサポートをせねばならない、おとなが、だと思う。

疑問を持つことなんてしょっちゅうだけど
「これが最善である」と周囲が見なせるだけの努力は
していかねばならない、と私は考える。
これでいいのかと常に適したハードル設定を考えては
再設定しつつも「よし、結果につながっている」あるいは
『明日は違うアプローチで頑張ってみよう』とできる
親で居なければ、と私は考える。

*******
『発達障碍児を親だけで育てるなんて無理』という前提で
だからこそ
『公的なサポートを最大限利用しましょう(福祉の波に乗りましょう』
『環境を障碍にあわせたものに整えましょう』
『同じような状況の仲間作りをしていき、交流もして
 助け合い、生きる力を補い合い、ストレスを軽減出来るようにしましょう』
『障碍について知識を持ち、子供の状態を受け入れて、
 その上で子供の幸せを目指した人生設計をしていきましょう』
と言うことなのだから、

絶対に、きょうだい児に求めることは『世話』とか
『遊び相手という名の大人の責任の丸投げ』
『障碍をもつ子の安全確保』
『現在のみならず将来の深い関りの強要』ではないんだよね。

*******
世の中は決して公平ではない、ということを
家庭の中で実感することになると思う。

親は、健常のきょうだい児と発達障碍児の
出来ることの差や困り感を目の当たりにして。

きょうだい児本人は、かまってもらえるきょうだいと
HELPを出しても『自分で何とかして』と言われがちで
結果的に放置されがちな自分の環境に割り切れなさを感じて、
また、心無い、というか、無邪気な同級生の、
『障碍のあるきょうだいがいて、大変だね』という
趣旨の話題や「おまえのきょうだい、おかしいよ」という
世の中の差別するこころがある事実に傷ついて。

発達障碍児本人は思春期以降、「おれは、きょうだいとは
出来ることが違うから」「おれは、出来ないから」と
劣等感をもつことになりながら。

******
世の中や他人をかえることはできないし、
それをしている時間もないだろう。
そんな時間があったら、子供に集中するべき、だと思います。
発達障碍という難題があるとわかっているならね。
世の中を変えようと躍起になって動くのは、
子供の精神状態が落ち着いて、まずは身の回りの環境を整えて、
毎日が上手く回るようになってから、それからでいいよ。
あるいは、あくまでメインは自分の子供で、社会的に発達障碍を
どうこうしたいというのは、今は補助程度の活動で。
自分の子供に集中して、落ち着いたら、
経験を活かして、次の世代のために出来ることを先頭だって。
今はちゃんと、ちょっと先を行く先輩たちがちゃんと
世の中に訴えて行動して、ちょっとずつ変えてくれているから。
たとえ自分の子供に間に合わないとしても、と。

****
とはいうものの、家族なんだから『家事』をお願いしたり、
きょうだいなんだからほんの少しの時間「みてて」と
お願いしたり『遊び相手』であることも本当だと思うんだ。

その視点で、今、育て中だとしたら、健常のきょうだい児に対して
親ができることは大きく3つほどあると思う。

***

①健常のきょうだい児とのマンツーマンの時間を確保すること

同居の大人の家族に協力してもらって
あるいは福祉やご近所の力を借りて、
発達障碍児の安全確保をした上で、
「おとうさんと健常児が遊ぶ時間、話す時間」や
「おかあさんと健常児が遊ぶ時間、話す時間」を
必ず確保する。
短時間でも一日1度は絶対に、月に数回は本格的に数時間。
基本、大人が聞き役で子供に合わせる感じ。
親が一方的に子供に話す、ではむしろ健常児が辛い。

そうじゃなくて、学校で何があったとかそういう話を聞いたり、
見ているアニメが面白いという感想を聞いたり、
宿題に協力したり(例えば「毎日の読書」で親のチェックが
必要と言う宿題が出たりします)、
子供が行きたいと言うプロの試合や映画を見に行ったり。
発達障碍児抜きで、思い切り親を独占できる時間を作る。

実感させたいのです、「おとうさんとおかあさんは、ちゃんと
私のことを見ようとしている、私のことを知ろうとしている」と。

 
②障碍児の将来をたくさない
親が目指すのは、障碍が合っても自立して生きている大人、です。
発達障碍を持つ子供のために、
利用できる福祉がないか
私設でもよい場所がないか、ちゃんと調べて知って、
手続きをして、最大限利用しましょう。

こういったシステムには、
お金がかからなくても(税金や寄付運営)、
手続きは必要、更新に手続きが必要、条件が厳しい、など
普通に健常の大人でも「どうなってるの?!」と戸惑うことが多いので

そこは大人がしっかり調べて実行する部分です。

将来的にどうしても、
こういったことをきょうだい児に任せたいと思ってしまいますが、
実は後見人制度などすでにあり、
きょうだい児じゃなく任せる相手をつくることもできるので。
親の不勉強を、健常のきょうだい児に押し付けないで。

なんていうか、大人同士になったとき、
普通にきょうだいが、お互いのアパートを借りるなどに
お互いの保証人になったりする(そして実際に迷惑は絶対に
かけない)なんてのは、良くある話で、
それくらいの負担感にしたいんです。
「あー、いいよー。自分が緊急連絡先になるんでしょ?
 それくらいなら全然OK」、これくらいの負担感にしたいところ。

ふつうの兄弟を育てるならば、大人になって、
「これからもおねえちゃんのこと、よろしくね」だの
「弟のこと頼むよ!」なんていいません。
『兄弟、仲良く、助け合って欲しいなと思うけどw』程度ですから。

とにかく親は助けてと言うサインを正しく発信して、
子供の環境を整えましょう。

今、発達障碍児本人が出来るだけ困らないように。
また、大人になったとき、障碍児本人が『自立して』
生きていけるように。

その、福祉の力をかりながらも自立した生活の中で、
更新手続きがあったり体調を崩したり、小さな困りごとが生じます。
自立の維持のためにときどき、誰か家族の力が必要になります。
そのときに、負担でも義務でもなく『いいよ、ってか、
きょうだいなんだしww』ときょうだい児本人が思えるように。

③障碍の受容を強要しない

ちなみに1号、転校した学校で半年間「きょうだいがいる」と
クラスメートに打ち明けませんでした(爆。
隠してないよ、言わなかっただけwww
本人曰く「私は私、2号は2号」。ハイ、その通り。

半年後の運動会で『名字が同じ、有名人の一年坊主』が
「おねえ、がんばれーっ」「1号ぉぉぉ(呼び捨て」と
徒競走を走る6年の1号に叫び続けて、
はじめて「・・・えっ?! アレ、お前の弟だったの?!」とか
「そういやwww名字一緒だwww」
「きょうだい?!似てない!!ってかwなんでw言わないしw」って
そういう扱いだった2号www てか、アレ扱い(遠い目。
アレな一年坊主はその後6年のお兄さんお姉さんに
「1号のきょうだいだったんだw」と大変可愛がられました、良かったです。
1号苦笑いで「2号、目立つからな・・・、だから言いたくなかったしw」でした。

ここ、面白いなと思ったんですけど二人とも
「自分にはきょうだいがいる」ということは、
自己紹介で率先的に話す内容ではないと思っていたあたり。
運動会の絶叫で、2号のクラスメートも「えっ?おねえちゃん?
わー、2号のお姉ちゃん、がんばれー!!」だったのでwww
学生時代は特に「兄が居ます」とか
人は家族を話題として出しがち、と私は思っていたのですが、
二人の頭にはその考えはなくて、
自分の趣味だったり得意科目や苦手なことだったり、
自分と自分を取り巻く周辺を話題にしていたんだなあ、と。
ま、確かに、
自分を取り巻く周囲の人に知って欲しいのは
自分のことであって、
自分のきょうだいのことを詳しく、ではないもんね。

大人でも障碍の受容を拒否するひとがいます。
自分の価値観で障碍があると言う事実そのものが許せない
障碍なんて認めないという人もいます。

障碍の出方が「おとなしい無反応に悩まされるそれで、
本人はすごく困っているが、周囲には害がない」ならば
まだ耐えられても、

もしも「暴れたり怒ったりがひどく、暴力をうけたこともあり、
他の人からは既に嫌がられている、避けられている」など
他害があって、悪い意味で有名だった場合などは、
やはり
「私、あの子のきょうだいなの」と自発的には言いにくいと思います、
きょうだい(が表に出す態度やふるまい)を
イヤだと心から思う時間も絶対にあると思います。

そこを否定しちゃダメだと思うんだ。

いわれのない差別からきょうだいを粗雑に扱うのはダメだけど、
実害がある場合には、それでも笑顔で受け入れるなんて
まだ子供のきょうだい児には荷が重過ぎると思うのね。

だから万一「障碍児がきょうだいでイヤだ」
「なんであんなのがきょうだいなの!」と子供が口にしたとしても

「それは本人の前では絶対に言わないでよ」は正しくても
「きょうだいなのに、そんなひどいこと言うの?!」は
違うと思うんだよね。

きょうだいだから、実害をこうむることはあると思うんだ。
きょうだいだから、嫌な思いをすることはあると思うんだ。

実際、運動会で「アレは1号の弟」と周知になってから
「お前の弟だいぶ変わってない?」と言う程度の「からかい」や
「苦言」「苦情」「弟のこういう姿を見かけたよ」は、
いくつか1号に回ってきているのだ。
都度1号が「それを私に言われてもなあw」とか
「まあ、だいぶ変わってるけど、嫌な奴ではないよ」とか
かわしていたけど、ストレスは絶対に感じていたと思う。

大人でも難しい、障碍の受容。

さらに「遺伝だとしたら」と言う考えはいずれ頭をよぎり、
恋愛や結婚を考えたとき、
「きょうだいに障碍がある」と言う事実はどうしたって
重くのしかかると思います。
結婚を考えたパートナーとパートナーの周囲の考えによっては、
またここで考えさせられることも多発すると思います。

障碍があるということは事実だけれども、
障碍があっても自立して幸せに生活することは出来る。

そこにたどり着くまでには
障碍を持つ人間のための環境の整備と自立、
周囲の理解と正しいありようや接し方、
きょうだい児本人の強いこころとまっすぐな価値観、
親の本当の意味できょうだいに対する公平なかかわり、
自分も確かに愛されて育ったと実感できる子供時代、
そういうのが必要なわけで。

今は受容できないとしても、いずれ。
一生受容できないとしても、あることは認め、否定はしない、
消し去ろうとかなかったことにしようとはしない。

障碍の受容を健常のきょうだい児に強要しない、
ということは本当に必要だと思います。
「愛さねばならない」なんてしんどすぎる。


ちなみに、お互い色々思うところあったでしょうが、

現在の1号と2号は、
「ねえちゃん、オレの部屋でくつろぐの辞めてよwww」
「お前は本当に馬鹿だなあwww(1号が2号に」
程度のやり取りが笑顔で出来る程度には、

「ねえちゃん、2階の雨戸しめてきて、
 俺1階やるから」「らじゃー」

「(検定試験の合格証をみて)さすが私の弟」
「どういう意味だよw」
「(大学合格と知って)奇跡だwww」
「うるせぇw」程度にはやりとりがあり、

飼い猫ネロさんをはさんで2人と1匹で川の字で
マンガ読んでいたりで(掃除の邪魔)、

まあ、うん、ふつうのきょうだいにみえる。
学校帰り、普通にバス停で出会ったら一緒に帰ってくる
くるくらいには、普通のきょうだい関係。

こいつら、二人とも診断名おりてるんだぜ・・・。
育ってしまえば、それぞれがそれぞれの自立目指して
動いていれば、本当に、なんつか、普通。















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プロフィール

Author:まみ
ひっそりこっそり発達障碍ブログ。スペクトラム注意欠陥女子高校生1号とスペクトラム注意欠陥多動男子中学生2号のオカアサン。宣伝なしのマイペース更新でやっていきます。逃げない、あがく、前をみる。ツイッター「botmamichan」、黒猫アイコン。botが一日2回自動で呟き、手動で不定期投下してます。

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