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発達障碍児が身につけるべきアレコレってなんだろう

カテゴリに『療育』を作ってみたけど、
個人的に『教育』と『療育』は違うものであり、

『教育』は全てのヒトに必要でかつ受ける権利のあるもので、
課題を持つ子供に必要なのが『療育』だと思っている。

課題を持つ子供こそに、特別な視点と方法で、目標や目的を持って
当たるアレコレを『療育』と考えて、このブログでは書いていきます。


通級指導教室だったり親の会がらみの団体活動だったり、
あるいはネットをきっかけに知り合って同じ時間を過ごして、
正直体感したことは

『軽度発達障碍』といわれるようなそれだと
専門家に診て貰ったけど『特にその後のフォローもなし』だったり
 #実際まあ、なんとか普通の生活をこなしている。
  勿論、親のものすごいフォローとか本人の成長もあって。
カミングアウトも無かったりあるいは親も気がついていなかったり
外からの指摘が無いパターンが殆どだ。
ようするに数時間一緒にいたくらいじゃ正直わからん。
授業もちゃんと参加してる。普通に見えるけど、
『忘れ物が多い』『気難しい』『喜怒哀楽が激しい』
『何を考えているのか分かりにくい』そういう感じ。ちょっと変。
でもなんとか、学校生活をこなしている子が『軽度』。

『うちの子、発達障碍で』と聞いてないのに言われた場合、
「これで普通級が妥当とか発達障碍です、とか言わんでください・・・」と
言いたくなるレベルが殆どだったり。言わないけど。
ぶっちゃけ過ぎてて申し訳ないけど、
普通の小学生の生活が出来てない。他害がありすぎ、暴言ひどいとか
激しい癇癪が頻繁とか、特性のため授業参加が難しいとか。

「えっ?!わかんなかったけどね?」って言うレベルの人に
実は、って言われたことまだ無いなあ。
言われなくても課題がすでに見えていて、
当の子供と過ごして、これはおそらく、と分かるレベル。

しかも、親もどこまでカミングアウトしていいか戸惑っているのか、
そのカミングアウトでは、こちらもどう接したらいいのかわからん!
っていう中途半端なものになりがちで、結局腫れ物扱いになったり、
逆にアレコレああしてこうして配慮してといわれすぎて
こちらが『無理。障碍者さまェ・・・』と感じたり、けっこう難しいことが多い。

発達障碍といっていたけど、手帳発行されてるじゃーん、とか。
 #今のところ、発達障碍だけで、福祉へのパスポートになる
  手帳をゲットというのは非常に難しい。

医師がはっきり診断名を親に告げず、情報を集めた結果、
自己診断で『発達障碍ということか!』に落ち着いてしまった
知的障碍や反抗挑戦性障碍、精神疾患の人も少なくないと思う。
分かってないだけで。

だから、実は、課題が見え隠れするので診断名がおりたので、
通級を希望して申請したけど
通らなかった、というのは、相当なレベルなんだよね。
断られたから普通なんだわ!普通に近いんだわ!じゃなくて、
療育をしても恐らく届かない、社会性を身につけられずに困難が続く、
本人が理解と受け入れをしない、特性が改善しないと判断された
パターンのほうが多いと思う。
『通級を断られた、だからうちの子は普通!』と親が見なしていた
お子さんを10人以上知っているけど、
全員明らかに普通級で困り果てていて、
担任の普通の指導ではもろもろが届かず、親も手を打たず、
高学年までには「自分に自信が無い状態」
もしくは「やたら攻撃的」あるいは「勉強の出来ない、
クラスでも目立たない、結構失敗が多くてよく叱られる子」に
なっていた。
特性はあったんだよ。そして親が本質を理解せず、
福祉の網から漏れたままだった。
中学校になってからあわてて病院だ通級だ相談だ、としても
もうちょっと、相当、大変だったりするのだ。

普通級への進学ではなく個別級が妥当と判定された場合は、
『軽度』と思ってちゃいけない。
本腰入れて、療育をして、その子の将来を考えないといけない。
あるいは
配慮がされまくっている環境が整っている
通級やフリースクールでも、いつもうまくいかないのであれば、
それはもう、問題は発達障碍の枠内で収まらない、と思う。

前頭葉の働きだったり、親子関係の構築が上手くいってなかったり、
もろもろが大変なことになっているから、
専門家の介入が必要な状態で、親子関係の建て直しが必要。

なのに、家庭だけの自己満足で、知識に乏しく対応を知らず、
福祉の力を借りることもなく、専門家に相談することもなく、
時間の力だけをあてにしていては、いずれ破綻する。


何が言いたいのかといいますと、
『発達障碍と確定なら、療育しないと駄目だ、教育とは別で』
です。『配慮が必要なお子さんです』ということです。

でも福祉の網から漏れた場合、
あるいは、妥当なご縁があって通級など福祉の網にうまく
乗っかれた場合でも、
家でやらなくては教えなくては配慮しなければならないこと、
家で子供のために将来のために出来ることって山のようにある。

山のようにある、どれから、何を優先して教えていくか
伝えていくべきか、身につけさせていくか、が今日のテーマ。
大人になったときに、少しでも、彼や彼女が困らないように。


リテラシー、

考える力、

もった考えを実行していく力、

いわゆる家事全般(人間らしい生活を最低限するために)、

持っている力を上手くまとめて発揮する総合力、

時間配分を考えた計画性、

お金の管理能力、

良い悪いの判断力、

心を健康に保つハウツーや考え方、

情報収集力の一つ上である「得た情報の選別能力」
『情報を整理整頓をする力』、

考えを表に出して分かって貰う力「表現力、伝える力」、

助けたり(助けを求めて)助けられたりする力(SOSの送受信)、


こういう力こそ、自立して
生きていくには必要な力だと、私は考えております。
これは、健常も発達障碍も関係なく。

お勉強よりも大切なこと。

そして、どうやったら、つけられるんだろうね、こういう力を、
特性を持っている子供が。


いっぺんには出来ないのです。
だから療育なのです。
長期的な目標と短期目標を別に持ち、
目標を達成するために、観察し、寄り添い、
焦らず、繰り返し、教えていく。

いきなりは無理なんで、段階的にやっていくしかない。
その段階を作っていく、スモールステップにしていくのが
腕の見せ所であり、技術でしょうな。

「脳は訓練するほど、よりよくなっていく」という
働きかけが決してマイナスや無駄にはならないという希望が勿論ある。


困難な場面にあったときには、
①まず、気持ちに寄り添って、
 状況を整理し図も使って流れを説明して、
 パニックを防ぎ、
 どのあたりが不味かったのか納得理解させる。
②次に、
 また、同じような困った展開になったときは
 どうしたらいいのか、自分ならこうする、他の人ならこうすると思う、
 というモデルを出す。例は1つじゃなく、複数だして、
 選択肢を親が示して選ばせる。選ぶ訓練をさせる。
 選ぶための参考になる情報もつけておく。
 次に困ったら『今わからないので、親に電話します』といわせて
 実際に電話をかけて判断を待つように促す、とか、
 まずは大人にヘルプを出すとか、
 実現できるもので、なおかつ「報告、連絡、相談』する姿勢に
 繋がる方法を、いくつか提示するのが良いと思う。
 
③やがて選択肢を自身で出して選べるように。
 最良でなくても、ベターな手段を選んで実行し、
 それでまた困ったら、あるいは困らず解決したとしても
 『報告連絡相談』の関係が作れるように。

類似の例を沢山示したり(疑似体験させる、
ハウツーを入れておく、事前提示としておく)、
細かく、細かく、距離感をはかってぎりぎりのところで
介入して、指導していくしかないんだよね。

実際の体験でつまづいたときも、フォローを十分にして
失敗だったとしても、同じ失敗はしないという
成功体験につなげるのが好ましい。

放置じゃダメなんだ。
時間が解決してくれたりしないよ、障碍特性に関しては。
正確には、解決することもあるけれど、でも本当に放置していたら、
脳が成長するまでの本人が自らある程度学べるようになるまでに、
相当のやらかしで、人間関係の構築が出来てない状態だし、
客観性が多少あり振り返りが出来る子供だと
反省を通り越して病みかねない勢いで自己嫌悪に陥るから、
そこのフォローも大変になる。

自分で勝手に学んでくれるなら、
発達障碍の診断名は降りない。


あと、お手伝いが出来る子供にしておきましょう。

自室の掃除や整理整頓は自分のためにやること、手伝いじゃありません。
食事の配膳を手伝うとか玄関の靴を揃えるとか
家中の家具や全ての窓ガラスを拭き掃除するとか。
ゴミ捨てや買い物で自分も運んでしかるべき処理を刷るとか。
そういう「生活していくために、自分だけじゃなくて、
家族もしくは同居人のためにもなること」をやるのがお手伝いです。

そして、お手伝いはして当たり前のことなので、
「やったら▲▲買ってあげる」
「やったら▽▽やってもいいよ」なんてご褒美制をとってはいけません。

むしろ、☆☆やったら●●あげるという、交換条件の
労働→対価としての報酬、というトークン制度はとらないで。

あれはもう意思の疎通が難しい、良心や共感を訴えても
それが無理、でも、ものに対する執着はあり価値は分かる、という
自閉の傾向が強すぎる子供のために、
考えられた「最終手段」です。ホント諸刃の剣でジョーカーです。

言葉が通じる相手に、ご褒美制度やったら駄目。
ものがもらえないと良いことがないと、気が付いても何もしない、
困っている人をただ観ているだけ、という、
社会性で大いに難アリのおとなに育ってしまいます。

じゃあ、手伝いがされたあと、どうすればいいのか、というと
笑顔で目を観てしっかり『有難う!助かった!』の一言です。

自分のしたことが相手の役に立ち喜ばれた、
この実感を持たせることです。
ありがとうとしっかり伝えることです。
それが好因子になって、
自発的に動機になって、
ちょっと面倒くさいことでも、やったほうがいいことなら、
誰かがやるべきことならやろうかな、という子にしたいのです。

あれもコレも手伝わせたり、あるいは
子供には物理的に本当に負担かもしれない、と言う手伝い内容にはしない、
毎日続けられる内容で、というのがコツだと思います。
ときどき勘違いして、これがこの子の手伝いですと
買い物で荷物を全て子供に持たせたりする
オカアサンがいるんですが、それは違う。
親の自分も勿論ほとんどを持つ。
でも子供にも、持てる分だけなら持ってもらう。
そして話しながら帰る、運んでくれた感謝を伝える。そういう感じで。

手伝いはさせましょう、そして『有難う』を伝える機会にしましょう。



学力とはまた別の、生きていくための力を、

なんとか、できれば、20歳までに。
それが無理でも30歳までに。

親はずっとそばにいられるわけじゃないのだから。

自活を考える時がきて、それからじゃ遅い。
自分の食い扶持を自分で、と言う時期までに何とか間に合わせたい。
生きていくための力。一人で立ち、時に、助けたり助けられたりする力。

間に合わないなら、障害特性でどうしても超えられない
壁だというのなら、折り合いの付け方を教えておきたい。
出来ないことや問題や課題を、
問題としなくなる道具だったり手段だったりをいくつも用意しておきたい。

***
前回ブログで、私立受験も考えてくれ、と言う趣旨で書きました、大いに。
書いたけど、受験突破のためには当然勉強が必要で、

でも勉強だけに力を注いでしまうと、
多分、駄目なのです。
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プロフィール

まみ

Author:まみ
ひっそりこっそり発達障碍ブログ。スペクトラム注意欠陥女子高校生1号とスペクトラム注意欠陥多動男子中学生2号のオカアサン。宣伝なしのマイペース更新でやっていきます。逃げない、あがく、前をみる。ツイッター「botmamichan」、黒猫アイコン。botが一日2回自動で呟き、手動で不定期投下してます。

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