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思春期 ⑤発達障碍がある場合の思春期

前回までに
 思春期とは性ホルモンによってもたらされる
 体の変化がやってくる時期である
 具体的には身長がぐぐんと伸び始めたら
 始まったと考えてよい。
 精神的に大人になったとか荒れているとか
 そういう基準ではない。 
 障碍の有無も関係なくやってくる。

 思春期は心身両面が急激に変化する

 思春期に親が距離感を間違えると、
 子供をつぶしがちだから気をつけろ

こんな話をしてきたのですが、

結局のところ、
子供にとっては、大人になるための大事な過渡期だし、
大人にとっては、見守りをする時期、ということで。

******
思春期が何でこんなに難しいのかというと
これは、障碍の有無関係なく、

心身の急激な変化から、
気分変調とか衝動的に社会に反抗する、という
表れ方が出てきやすい時期だから、でもあるんだよね。

実際に、障碍のあるなし関係なく、
思春期に精神的にやんでしまうことは多い。
たとえば、
強迫神経症とか躁うつ、対人恐怖に、摂食障害、
無気力になったり、うつになったり。
時に、自殺や登校拒否に発展したりも。
わお。

ストレスのいなし方を多少覚えてきている
健常でさえこうなりやすい時期だという中、
発達障碍もちは、さらにこうなるリスクが高い。
なぜか。
考え方の基盤が偏っているというか
視点が一点集中というか、精神的な脆弱さがある。
そこに、思春期ならではのストレスが加わる。
脆いのだ。


成長に伴い、親が直接子供に関ることは減っていく。
自分で頑張りなさい、ということを増やさなくてはいけない。
しかしながら、今まで割と失敗が続いていれば、
自分に自信がないことも多く、自己有用感が育ちにくい。

親も、今まで子供にしてきたことのうち、どれが
障碍に合わせたやめてはいけない必要な補助なのか、
年令相応にやめなくてはいけない干渉なのか、
戸惑うことが多い。
その混乱の結果、
必要な補助まで外してしまうので、実質放置となり、
子供の失敗が続く。事後フォローもされない。
補助がされていないため、
失敗したという結果だけが残り、教訓やその後の
再チャレンジにつながりにくい。悪循環。
そうなると、今までは『障碍』と言う生まれつきのそれだけが
悩みだったのに、こころが病んでしまい、
『精神疾患』までついてくることになる・・・という展開に。

*******
では、こういったことを防ぐために、

発達障碍があるなら、思春期はどう接したらいいのか。

「介入・補助」と「過保護・過干渉」は違う。
だから、
モチベーションを持たせ、本人に任せる部分は任す。
また、
関わるべきでない部分は関わらない。

思春期の悩みだったり、起こりがちな問題だったり、
子供のモヤモヤいらいらというのは、同じなんです、健常と。

また、知能があがって、他と比べることをして
「うちはおかしい」「うちのやり方が絶対ではない」とする分、
もしも心配になるくらい従順な子供だった場合は、
思春期になった途端ビックリするほど手強くなるかもしれません。

そういう中、特性への支援をやめてはいけない。
思春期がきたからと、本人が援助や補助を特性ゆえに
必要としているところまで切ったり『自分でやれ』とするから
失敗につながり、自信を喪失する羽目になる。
だから、ここは、量ややり方の加減はあれどもゼロには
出来ない部分だと思います。
ココを一気にゼロにするから、なんだかおかしなことになる。
減らすことは出来ると思うけど、多分ゼロに出来ないのが
特性への支援。

では、発達障碍の何が問題なのか改めて考えたら、
それは、脳のクセでそうなっている少数派の考え方とか
そういうことじゃなくて、『人間関係で難が出易い部分』に尽きる。
周囲とすっかり上手く行かなくなってから
なんとかしようとしても、コレ無理。
周囲の気持ちや立場も絡むことだから、難しい。

そうなると、人間関係が上手くいかなくなる前に、
対人関係のトラブルが最小限ですむように、

マナーや言葉遣い、ふさわしい立ち振る舞いなどについては
引き続き機会を見て教えていきたいところだし、
支援が期待できる、親以外の
大人との関係を作っていきましょう、ということになる。
また、
譲れない自分と常識やルールに基づく社会との、
折り合いのつけ方とか妥協点をさぐっていきましょう、
ということになる。



ただ、子どもはちゃんと成長しているし
出来ることに対しての補助なんてしなくていい。
だから、本人が考えるべきところは考えてもらって任せる。
成長に応じて、当然自分でやるべきことなら任せる。

そして、子供が自信を持って、あるいは不安でも
何とか不安な気持ちを乗り越えてチャレンジ出来るように、
必要なのは、自己有用感とモチベーション。

***
自己有用感を高めるためには、
なるべく成功体験を積んで自信を回復してほしいし、
出来ない欠点よりも出来る長所に注目したい。
そして、欠点克服に躍起になるより、
長所をいかした生き方を選べるようにしていきたい。
 #むかし、出来ることを仕事にしたほうがいい、と
  ツイッターで呟いたけど、そういうこと。
  短所を克服して苦手分野で勝負しようとしても、
  特性で出来ないのなら限界はあるし、
  得意なヒトにはかなわない。
  長所で食べていけるなら、それでいい。
  子供を変えるより、子供が本人らしくいられるように。

だから、親は意識的に、
長所に注目させて『出来ること』をあえて強調してやりたい。

また、こうしろああしろと答えを命令するのではなく、
あくまで提案として「こう言うやり方なら出来るはず」
「これなら達成できると思う」と方法の提示をする。
その方法を子供が採用するかどうかは子供に任せる。

そして、話に耳を傾けて、頭ごなしの否定はしない。
「ふーん、そういう考えがあったから、こういうことをしたんだね」
っていう、そういう考えがある、ということは認める。
あることは認めても、賛成はしない、というのはアリ。


モチベーションのあげ方は・・・、
自己有用感がないとダメで、
はい、いわゆるABAです、絶賛連載途中のそれです!
だから、そのうち語ります!
よかったね~、ブログがつながったよ~。
確か、次回丁度、
『ポジティブ(強化子』『ネガティブ(弱化子』のあたりを
話すつもりだったような気がする。

モチベーションが上がれば、ヒトは動ける。
モチベがある人間は、実行する力を持つし、
集中力も発揮する。
また、自信があるほど、モチベは上がるのだ。

******
思春期は、

健常児の親同様、親は、見守りの時期だから、
減らすべき手をきちんと減らして、
子供に任せられる部分は任せるんだけど、

障碍特性に合わせた支援はやめちゃダメ

これが、発達障碍がある場合の思春期、だと思います。



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思春期  ④『子供をダメにする親』自称親に潰された元こどもたちの言い分から考える

タイトルもう少しなんとかならんのか(汗

もともとブログ「森のなか」は
発達障碍についてのアレコレの自分の考えを書きながらまとめる
&どこかのかつての1号やかつての2号が少しでもラクになるように
&どこかのかつての私がちょっとでもラクになるように、という
趣旨ではじめていた、脱線もひどい
ハートフルほっこり☆日常☆発達障碍ブログだったのですが

5年も6年も書いていると、
自分では読み手として想定外だった相手から
ご連絡を頂き、話を聴く機会も増えていくんだな、これが。
既に大人になってしまった発達障碍当事者だったり、
既に「しくじった」と言い切る親だったり、
既に親になったのに「自信が無い」と言い切る大人だったり。

そしてそれは盛大な親への呪詛だったり、
生まれてしまったことへの後悔だったり、
あるいは子供への呪縛だったりする上に、
時に、自伝風味の自分のことのみドラマティックに発信する
俺様通信で驚きを隠せないのですが、

なんかそれらに触れて、ある意味返事に困って考えて、
そして見えてきたことがある。
その「見えてきたこと」というのは、
思春期の、思春期までの、親と子の関係にすごく関係が
あるなあ、と思ったので、今日はそんな話。

正直、中学生&もうすぐ大学生を育て中のワタクシが
書くよりも、既に子供が巣立った人間が書いたほうが
説得力ある内容なんで「この若造がw」ってご意見もありましょうがw

『子供をダメにする親』の共通点について考えた。

******
①親の理想像を押し付けている

「(親の自分にとって、都合の)イイ子だからダイスキよ」
「あなたは本当にイイ子ね」
「こどもはこうでなくっちゃね」
「**でないとダメよ」
『将来はオトウサンと同じ**大学に』
『将来は**になってね』

こわいこわいこわい!
イイ子の基準が、常識的な世の中のルールに従うべきだ、
人様にあえて迷惑をかけるようなことをしないように、っていう
そのくらいならいいの、それは当然なの!
むしろ入れておかなくちゃいけない守るべき価値観なの!
失敗は誰にでもあるけど、故意じゃないなら仕方ない。
こういうのは犯罪だからダメだからね?とか
故意に迷惑かけるのは良くないよ、ってそれくらいなら良いの。

でもそうじゃなくて、イイ子じゃないとダメ、っていう
理想を押し付けまくっている親がいる。
反抗を許さない、反論を許さない親がいる。
言わせない親がいる。
そして、将来の進路や職業をきめてしまう親がいる。
他の選択肢を選ばせない親がいる。

あるいは、子供が、そうであると思い込んでしまっている。
自分は、選んではいけない、親の言うことを
聞かなくてはいけない。そうでないと、愛されないと。
そうでないと、自分には価値がない、と。

親にはそんな、理想を押し付けたつもりがなかったとしても、
顔つきで声のトーンで普段のちょっとしたことで、
子供が親のそういう心の奥底の希望をしっかり読んで、
自分の本当の思いや本当の夢にふたをして、
イイ子を演じてしまう、イイ子である選択をせざるを得ない、
そういう子がいる。
イエスマンになるしかない、そう思い込んで、
親が喜ぶ選択を、さも自分が自発的に
したかのようにして、死んだ目で進んでいく子がいる。

でも、これは、先にかいたように反抗期がなかったとか、ではなく、
選べなかった、選ぶ自由がなかった、というだけで
端に我慢しているだけだから、
大人になってから、ドッカーン!とくる。

そして、大抵、ドッカーン!となってからでは、
なりたかった者になるための時間は余り残されていなかったり、
すでに他のものになってしまったあとだったりして、
本人自身が『手遅れだ』と嘆いていたり、
親も周囲も「いまさら、いまごろ?!」
「えっ、それが本音だった?!」と驚いたりする。

大抵、大きな親の希望にこたえて、
一流の、と言われる何かに
すでになっているにもかかわらず、
本人にまったくしあわせ感がない状態。
環境的にも恵まれ、能力もあるのに、幸せじゃない。

それでも、まだ力を残している場合は、
どっかーん!のあとに、立ち直って、
改めてチャレンジしたり、
一度は決めたことだからと腹を括りなおして、
本人が改めて自分にとって幸せとは、
自分で決めた道を自分の足で歩むことだ、ってなるんですけど。
手遅れじゃないよ、と自分に言い聞かせて。
ドッカーンがあっても、そうやって自己実現できればいいんですけど。

*******

②過ぎたるは及ばざるが如し

とにかく極端なの。
オールオアナッシング思考で親が突っ走ってるの。

薬は体に良くない!として、体調がメッチャ悪いのに
絶対病院に連れて行かないとか、薬は全部NOとか、
お菓子は子供の歯によくない!として、
保育園のオヤツですら『食べさせないで!』としてしまう。
そしてトラブルの際には白黒はっきりつけて、
徹底的に相手をやっつけて追い込む。
『100点じゃないと認めないよ!』と結果が全てで
過程をほめることなんてない。

こわいこわいこわい!!

いや、まちがってないよ。
ただ、まちがってないけど正しくもないよ、
そんな感じ。

体調悪いなら病院つれてけよ!
医学で出来る症状緩和ってありますけど?!
何より手当てしてもらっているという実感って
弱っている子供には大切でしょう?!と思うし、

オヤツには3食でとりきれない栄養をとるという
意味や気持ちを休ませる役目もあってだな・・・、とか、

徹底的に相手を追い込んだら恨まれるだけだし
周囲にはびびられるし、
万一自分たちがやらかした側になった場合
徹底的にやられるというわけで、いい展開にならんけどね?
「まあまあまあ」ですませたほうが今後も
周囲とうまくやっていけるんだけどな、とか、

中庸とか程々という言葉が、世の中にはあってだな・・・。
「なんくるないさー」とか「そのうちなんとかなるだろう」とか
『それもアリ!』っていう考えが全くないの、親に。
怖いよ。

間違ってないけど、この価値観で3年5年10年育てられたら、
失敗を恐れる子供になってしまう。
人を許せない子供になってしまう。
自分を許せない、愛せない子供になってしまう。

********

③体罰はしつけです!小言は愛ゆえです!

違うと思う。

体罰だめ絶対。

「愚痴・小言」と「諭す・説教」は違う。

体罰はね、ホントダメ。
ってゆーか、叩いてでもやめさせないといけないことは
確かにあるよ。
具体的には
・命にかかわるイタズラをしたとき
・故意に人を傷つけたとき
このあたり。

『どうなるかみたかった』とかなんとかで、
たとえば生き物を殺そうとしたなんてのは
もう叩いてでも辞めさせないといけないと思うし、
相手を肉体的にも精神的にも
悪意を持って故意に傷つけたときあるいはそうしようと
しているときは、辞めさせないといけない。

そんなんじゃなく、
クチで注意すれば十分通じるのに、
事前提示で約束しておくことで問題行動が防げるのに、

なにかとパシーンバシーンと
ぶったたく親がいる。
どちらかというと、自分がかっときたから、というそっちで。
自分の都合で、しつけの一貫性はなく、そのときの都合で。
叩く前に、教えるとか話し合いとか諭すとか、
そういうの一切なしで。

小さいときはそれでも言うこときくかもね。

でもある日、ふと、子供は気がつきます。
あ、自分、親より背が高くなってる。力も強くなってる、と。

反撃開始です。
と言うか、積年の恨みもあるので、
された以上のことをするでしょうね、多分。
そのとき『親を殴るなんて!』『年寄りになんてこと!』って
言っても、そもそも弱者だった子供を殴ってたんだよね、と。
殴れば言うこときく、ってことを今まで実践で教えちゃったんだよ・・・。
うちでそうする(家庭内暴力)ってのもいけないけど、
外でも暴力にモノを言わせたら、もう、犯罪だよ。
学校で暴力つかったら居場所がなくなるよ。

『体罰』は、されたほうには、ものすごい傷になる。
 #実際、脳がダメージを受けるというレポートもあり
でも、叩いてでもやめさせなくちゃいけないことは確かにある。
ただその基準は、本当に『余程のライン』だと思う。
自分を粗末にしたか、他の何かや誰かを粗末にしたか、の。
通常、子育てで、
子供を親がたたかなくてはいけないシーンなんて
そうそうないよ。

体罰ではなく、とめる。
とめたあと、落ち着いてから諭す。
あるいは2度目につながらないように教える、しつける。
何度でも伝える、教える。


あと「愚痴小言」はいう方がすっきりするだけー、と
思いきや、
スッキリなんてしないのです、
言霊というのは本当にあるので、言葉にすることで
『自分がそういう状態である』と改めて確認してしまうので、
不幸な気持ちがますます定着してしまうのです。
妖怪ドンヨリーヌのせいではなくて、
親の愚痴や小言をきけば、どんよりするのです。

聞かされたほうはたまったもんじゃありません。
ましてや、子供には、反論が出来ません、
まだ大人ほど言葉の力もないし、
年令ひとケタのときは、親の力って絶大なので反論できん。

愛だというのなら、
言う方ではなく『聞くほう』になりましょう、ぜひ。
人は、聞かされるより、聞いてもらうほうに
快感を覚えるのです。
だから、子供の話しを聞くのです。
白黒つける必要も、イチイチ感想いう必要もありません、
ふーん、へー、ほーでもいいのです。
ちゃんと対面で話をきくのです、親が聞くほうになるのです。

子供が『うちの親、愚痴ばっかり』『うちの親、五月蝿い』って
外で言っていたら哀しいじゃないですか。
『うち、親ともよく話するよー。
 この前、文化祭の準備のときの話したら、オカアサンが・・・』って
外で言っていたら嬉しいじゃないですか。

愚痴とか小言の部類を子供にぶつけない。
それは完全に、大人がしてはいけない、子供への甘えだよ。
子供は良くない言葉のシャワーでゲンナリしちゃう。

***********

結局ね、上に挙げたような大人に育てられると
子供は大変だと思うの。
親子関係の健全な構築に失敗すると思うの。

そうなってくると、思春期という、
子供が「自分と他者を意識して」
『大人に成長しつつある」時期に、

こういう大人でありましょうよ、という形が見えてくる。

☆一方的に叱ったり、親の考えを押し付けない
 本人なりの考えを、大人の一員として認める

☆常識とか世間のルールとか、一定の基準から
 外れすぎていない芯を親も持っている。
 親も考えがしっかりしていて意志がある一人の人間でいい。
 子供のやろうとしていることが、
 明らかに子供と周囲の命や人権を台無しにすることだったり、
 子供の言うことが余りに常識ハズレだったら、
 そこは譲っちゃいけないもの。
 ここぞというラインは、フラフラしていない大人が理想だと思う

☆雑談と相談が出来る関係で。
 そしたら、本当に困ったとき、相談が出来るから。
 そして親も、周囲の人同様、子供にも相談していいんだよ。
 それは、子供を、子供というより、対等な関係として
 一人前としてみている証でもあるから。
 相談内容は軽すぎず重すぎず、選ぶ必要があるけどね。
 そして、『選択肢なんてもらえなかった』と子供が
 思い込まないように、命令ではなく提案で。
  #「~しろ、しなさい」じゃなくて「~はどうかな」


*****
どんな親も、親である以上、
絶対、子供を所有物とはみなしてないし、
子供の幸せを願っているはずなの。

でも、伝える内容や伝える方法を間違えたら、
歯車が外れたら、どんどん、おかしな方向にいってしまう。

なんかおかしいな、と思った時点ですぐ手を打ちたいし、
また、おかしいなと思う前に、毎日のかかわりのなかで
ほころびをなおしたりメンテナンスをしたり、なんだよね。





③思春期の反抗期が無い、場合

ってゆーかー、発達障碍もってる子供って、パニックの結果から
その価値観から、困った行動や言動が多いからして、
小さいときからずっと反抗期みたいなもんだしぃー、みたいな
場合もあるし、

・・・本当になんていうか、反抗されたことがない。
なんだこれは
って場合もある。

反抗期が無い場合、発達障碍の有無に関わらず、
親が見直ししなくてはいけないことがあるとしたら、

「安心して反抗できる環境を、私たち夫婦は家族は作っているか?」
の一言に尽きると思う。

*******
もしもね、本当に健全に親子関係が作られていて、
親が『お前はいつか巣立つもの」と
キチンと適度な距離をとって育てていた場合、

そして子供の自主性を重んじながら、
時に相談相手になり、ときに話し合いをし、
親子双方『納得させる』と言う作業をしてきた関係だったら、

これ、ぶっちゃけ、
暴れたりけんかしたり反抗する必要ないんですわ。

ちゃんと親が話し聞いてくれるから。
自分の考えを受け止めてくれるから。
子供がちゃんと自立に向かっているから。

子供が『クラスでこういうことがあって、でもこういった先生は
おかしいと思う』とか「オカアサンのこういうところは
正直どうかと思う」とか「そんなの私はやりたくない」って
ちゃんと言っているし、
親もちゃんと受け止めているし、

だからちゃんと「反抗期」きてるんだけど、
成長したからこそのかかわりをしているんだけど、
自己主張もしてるんだけど、
親子でそれに気が付いてないだけなの。
今までどおり、ちゃんと対応して、今まで通りと変わらないから。
こういうパターンで「うちの子反抗期無いんだよね」って
言うお母さんいる。でも大丈夫、ちゃんと、「世の中や人間の
おかしい」にたいして自己主張している。
自立への道を歩んでいる。

ただ、オカアサンの応対がうまいだけだ、それ。
親のほうがうまく距離とって、適切に対応できている例もある。
その自覚がないゆえ「反抗期無いな」だったりする例もある。

******
なんで反抗期がないとマズイと言われるのかというと、

『自分が無い人間が出来上がるから』なんだよね。


********
自分がどういうことを良しとして
どういうことに嫌悪感を抱いて、
どういうことに価値をおくのか、自分で分からない。
自分は何が好きなのか、何に夢中になるのか
自分でも分からない。

他と自分を比較してみえてくることもある。
熟考して実感してわかることもある。
混乱しつつも真剣に向き合わないといけないことがある。
イライラしながらも考えつづけて大人になる。

その思春期の課程をすっ飛ばして、何も考えず
親の言いなりのイエスマンでいってしまうと、

「自発性の無い大人」になってしまう。
そして、動く基準が他人の価値観では、
しあわせ感に程遠いので、のちのち大爆発につながる。

それが一般的な常識といわれることだったりルールだったら
年令関係なく守って欲しいところなんですが、
 #そうじゃないと犯罪だからねえ
価値観とか好きとか嫌いとか、そこらへんについては
自分なりの基準を確立していていいわけですよ。
 #そして、自分なりの基準と世の中との折り合いをつけて
  生き方を決めて、自立していくわけです。

自分なりの基準、「こう言うのがすき」「これはやりたくない」
『これは一生続けたい!ダイスキ!』、そういうのが
わからないと、人生が重苦しくて辛いものになります。

********
さらに、

『本当は親に言いたかったのに、反抗したかったのに』とか
『本当は相談したかった』と、思っていた場合も悲惨。

親からの期待に押しつぶされちゃっているわけで、
自分を押さえつけているわけだから、
大人になってからドッカーン!ときます。
「毒親に育てられた!」「価値観を押し付けられた!」
『私の幸せなんて考えてない、自慢の子供が
 欲しかっただけでしょう、自慢できない子供なんて
 イラナイってことでしょう?!」と成人後にこじらせる。

これって、成人後にこじらせたとか反抗期が遅れてやってきた、
というより、むしろ、海より広いアタシの心もそろそろ我慢の限界よ!
ってなっただけ。単純に病むまで追い込まれて、限界来ただけです。

厄介なのは、親がマジで特に期待してなかったのに、
子供が思い込みで「そうであれと強制された」とする場合なんだけど。

******
一見「反抗期が無い、思春期が無い」と思った場合でも、

時期的には間違いなくきているので、
でも今までの積み重ねで上手くいっていたし、
また親の距離のとり方が絶妙だから上手くいっただけ、
本人たちは無自覚、って言うパターンもあるし、

反抗したくても出来なかっただけだ、
子供が我慢してただけだ!ってパターンもある。 
  
だけど一番、厄介なのは、
『子供のほうから親離れしないパターン』と思われます。
この場合は「親が距離をとる」必要があるんだよね。
そうしないと自立につながらないから。

万一「反抗期ありません。そして私たち仲良し親子です☆
高学年の娘と手をつないであるいてます☆父親」とか
「反抗期ありません、そして私たち仲良し親子です☆
 中学生の息子とお風呂一緒には言っています☆母親」
とか、おいマジで今すぐソレやめろ状態です。
そんなのは仲良し親子じゃねえ、気持ち悪い親子だ。
ココは日本だからね、外国じゃないからね、
年頃の子供と過度のスキンシップは異常だよ。

障碍への支援は続けてないとダメ。
だけど、年令相応に距離を取っていく必要がある。
通常は、ちゃんと子供のほうから、巣立ちの準備として
思春期に『反抗』するのだ。

でも、それがない、と言う場合は、ぜひ環境の見直しを。
もし、
反抗したくても出来ないという不健全な環境なら即座に
再構築が必要だと思うし、
また、
子供のほうがベタベタで距離感を間違えているという場合は、
親のほうから離れていかないといけないのだ。
障碍へのフォローは続けながら、
年令相応に距離はとらなくてはいけないのだ。

なぜなら、自立につなげるためのステップとして、
思春期の反抗期があるのだから。




思春期 ②NOというのは唯の反抗か知能の発達か

思春期といったら、盗んだバイクで走り出したり
何から卒業するのか分からなかったりするものですが、

そういう言葉に集約されるように、やたら
「不安」『イライラ』が強くなる時期でもある。
そして「意地」になる時期でもある。

思春期はよく蛹にたとえられる。
蛹の中身はドロドロなので、ちょっとでも振動をくわえたら、
再構成がうまくいかなくて、蝶や蛾になることなく、終わる。
だから蛹には絶対に触れてはいけない。
時期を待たないといけない。
そのあたりが、よく思春期に例えられる。
親は見守る時期で、手を出す時期ではありませんよ、と。

実際まあ、性ホルモンが分泌されていることにより、
脳の中では大爆発がおこっている、と言い切る医師もいる。
そりゃもう、まるで嵐ですよ、脳と心が、という心理学者もいる。
不安定だからイラついて当然なんだよ、と言われる。


思春期というのは知能が急激に発達する時期でもある。
出来ることや分かることが増えてくる。

それまでは、親の言うことや大人の指導を盲信に近い
状態で受け入れていても、だんだん、世の中の矛盾に
気が付いたり大人のずるさにも気が付いたりする。
それだけなじゃく、自分の内面にも気が付く。
自分でやりたいという気持ちやできるもんという気持ちと
実際はさせてもらえないできないという現実の乖離もある。
同時に、自分の内面に気がつくということは、
他人との違いに気が付くということでもあり、
他者との違いに対して敏感にもなり、
人に対して、劣等感や反して優越感も持つようになる。

そうなってくると、いままでイエスマンで、
『ウン分かった、オカアサンの言うとおりにするよ』だった子が
言うことをきかなくなる。

これは、健常、発達障碍関係なく、だれでも、そう。

******
思春期に突入して、ホルモンのアンバランスもあり、
不安が強くなったり、イライラが増したり、
あるいは知的活動を好んでするようになるだけ
コダワリとか譲らないとかそういう姿勢も強く見えるようになり、

「あれ?もしかしてこれ、自閉の特性が強くなってる?」と
発達障碍児の親は不安になることがある。

でも、そういうことじゃなくて。
これは、知力が伸びて、世の中が見えてしまったから、
自分の価値観で考えるようになって
イエスマンじゃなくなっただけ。
自閉が強くなったというより、
受身をやめて、自己主張するようになった、
自分の意見を持つようになった、と言う流れが殆ど。

だから、自閉の特性が強くて意思表示なんて
ほとんどしなかったあの子が、
おとなしかったあの子が、わからなくなった!!って
パニックに陥る発達障碍の親御さんがいるんだけど、
 #それが他害につながっちゃダメだけど
それは、自兵の特性が強くなった、ではなく、成長した証です。
思春期に入っているのです。

*****
そしておそらく、この時期に
イエスマンを卒業できなかった子が、
この先の人生でしくじるのだろうな、と思った。

今までは、
親が入れた価値観、世の中で推奨される価値観で
動いていた。

それが常識といえるもの、マナーやルールと
いえるもの、だった場合は、教えたのが誰であろうが、
誰にも特に教わってない体験で理解したことであろうが、
そのまま守ってほしいところだけど、

もしも、親のその価値観が
「こういう子供であって欲しい、こういう子供がいい」という
理想の子供像の押し付けだったり
「自分がやりたいと思っていない、楽しいと思っていない、
 必要だと思っていない、そういうことなのに、
 親が喜ぶからという基準だけでやっている」ことだったら、
ここで、一度「NO」を突きつけないといけないのです。
そして、話し合いをしたり、あるいは自分を通したりして
『選択』しなくてはいけないのです。

そして、選択した以上、自分で責任をとっていくのです。
自分で続けると決めたのなら、続ける。
もうイヤだ別に好きじゃないと思ってやめることにしたのなら、やめる。
親の価値観で動く自分を、やめてみる。

そしてそれを決めたのは自分だから、
結果、どのような展開になっても、親や周囲を恨まない。
もしもしばらく時間がたって、一度はやめてしまったことや
遠ざけてしまったことや否定してしまったことが
やっぱり自分に必要だ、自分はアレが好きだったと
思いなおした場合は、素直に認めて、
時には頭を下げて、再開させてもらえばいいのです。
再開が無理なら他の道を探る。


親に必要なのは、思春期に、
今までの積み重ねや継続を「NO」とされたときに、

子がキチンと意見を伝えて親を納得させられるか、
また、自分の今までがたんなる期待の押し付けじゃなかったか
子供の気持ちに寄り添っていたか、
振り返る必要がある、ってその辺だと思う。


意外とね、親ってNOと言っても大丈夫なんだよ。
今、自分が親になったから尚思う。

というか、そのときはすっごく衝突するかもだけど、
結局「親子」なんですよね、他人じゃないから、
10年後20年後30年後に『和解』出来ちゃったりするんだわ。

他人に「NO」ってつきつけるのは、もしかしたら
今生の別れだけどさ、
育て、育んできた親だったら「おお、反抗期!」と
思いつつも聞く耳はもっているはずなんだよ。
だって、どの親も「子供の幸せ」を願っているわけであり、
「自分の思い通りになる子供」を欲しているわけじゃない。
 #後者だとしたら、それは親のココロに問題があると思われ

勿論、NOという以上、説得材料は必要だよ。
ただ単に感情で「やりたくないの!嫌いなの!」だけでは
子供の甘えだ。子供だからいいんだけど。

でも思春期に色々考えて「今までずっと親に勧められて習字をはじめて、
やらされてきたけど限界が見えてきたし、やっぱり好きじゃない・・・」と
思うなら、それを伝えてしまっていいのだ。
「今までやってきたのに勿体無い!」って反論されるかもだけど、
「好きなことが出来ない時間が勿体無い。
 将来、習字の先生をやる気はないし、綺麗な字ならもう書ける」って
反論できる。本当にやってみたいことがあるならそれも挙げればいい。
意外と「NO」って言ってしまって大丈夫な相手が親なんだけど、
なんだか言ってはいけない気がして言えないとか、親に言っても無駄とか
諦めちゃっているパターンがあって、それは見ていて歯痒いです。

***
なので、高学年からあとくらいに、
親はもし、子供が「習い事をやめたい・増やしたい」と
言ってきたり、あるいは悩み相談をしてきたり、
あるいは「オカアサンはおかしい」と面と向かって言ってきたら、

内容によってはショックかもしれませんが、
同時に、子供が成長した証でもあるので、

「やってきました反抗期www」と堂々ココロでかまえて、
論破して言うこと聞かせる!!ではなく、
「どうしてそう思うの?」「どういうこと?」とちゃんと
話を聴いて、うながして、
上手く言葉に出来るように誘導しましょう。
子供の気持ちをしっかり受け止める、ってそういうことだ。
根拠なしの、ただの甘えだったりイチャモンだった場合は
反論もアリと思いますが、基本「そう、あなたはそういう
考えなのね」で、犯罪行為でなければ、
子供の意見に親が白黒つける必要は無いと思います。
そして本当に習い事をやめたりはじめたりするのであれば、
そこは子供にも責任をとらせる。
一緒に挨拶に行き手続きをする。

「やめたい」っていうことは、何かを続けていたら
必ずどこかで、起きる気持ち。継続しているからこそスランプになるし
限界も見える。好きなものも人間コロコロかわる。
そして一生続けるようなものに出会うって
実はなかなかないわけで、『やめる』と言う選択肢も全然ありなんだよね。
あるいは、一生続けずに「とりあえず3年間」と期限を決めて
チャレンジする、と言うやり方もありなんだよね。

子供が辞めたいと言い出して、NOといってきて、
継続して欲しいなら、その「続けて欲しい」と言う気持ちを
伝えてもいいと思うけど『何のために続けさせたいのか』自問して
欲しい。それが、子ども自身の食っていく足しになるからか、
子ども自身の人生の彩りになるからか。
それとも継続することのみに価値を置いて
あるいは自分の理想の子供像を押し付けて、
子供の気持ちを見ていない親に成り下がっていないか。
その自らの振り返りが出来ない親とは、子供は『話し合い』が出来ないよ。
子供にとって親って絶対だもん、すくなくとも年令一桁のときは。

思春期の子供が「NO」とした気持ちに
親も向き合うこと、って、
子供が大人になるために、必要なことだと思うんだ。
だって、単なる反抗じゃなくて、
それは知力が伸びたからゆえの成長の証だから。


思春期  ①思春期ってなんだ「身長が伸びたら思春期である」

なんかねー、しくじりせんせいの特番を
セラムンちっぷすバリバリ食べながら夫と見てて、
期待されて育った子供の言い分と
期待してしまっていた大人の言い分を聞いて、

あーこりゃ
思春期について書かないといけないなって無駄に使命感を持ちました。

WISC(既に連載完結)や
ABA(こちらは未完・絶賛不定期連載中)に
つづいて「僕が勉強してまとめた、僕が経験してまとめた
思春期の付いての最強のまとめ」(連載)ですよ。
あれ、ワタクシの続けているブログ「森のなか」って
ただのエッセイ風味日常だだもれ日記じゃなかったのか(震え声

①思春期ってなんだ「身長が伸びたら思春期である」
②NOというのは、ただの反抗か知能の発達か
③思春期が無い、場合
④自称親に潰された子供たちの言い分から見える「子供をダメにする親」
⑤発達障碍がある場合の思春期ってなんだ

このお題で書いていきます。本日は①。


思春期というのを辞書で引くと
・二次性徴
・生殖可能な時期に突入
・11歳から17歳くらいまで
・・・と、どの辞書でも書いてある。

別に、盗んだバイクで走り出したり何から卒業するのか
分からなくても大人になれた気がしても、イライラしてなくても、
その年齢になれば、誰にでも思春期はやってくる。

ついうっかり、なんにでも反抗する時期なんでしょ?!とか
精神的に落ち着かない時期ってことでしょ?!と言う解釈から、
「イイ子で優等生で文句なんてまず言わない」だった場合や
「発達障碍等で、発達が人よりゆっくり」だった場合に
思春期とか反抗期が分からない、とか言われがちなんですけど、
そうじゃないです、精神的イライラと態度で判断するものではない。
時期は皆一緒です(個人差はあれども1年程度と思われ)。

思春期の体の変化(二次性徴)は、
精巣からのアンドロゲンと
卵巣からのエストロゲンという
性ホルモンによってもたらされます。

んで、統計をみると、女子のがちっと早い。
胸が大きくなったりという丸みを帯びるとか
生理になったとか、そういうの、大体まあ年令ひとケタが
開始時期なんだよね。7歳位から14歳くらいまでに
これらの体の変化が順にやってくる。
男子のほうはといいますと、
二桁年令に入ったくらいが平均かなー、なんだな。
9歳後半位から14歳くらいまでに
体の変化がやってくる。

体の変化はそれぞれの性でいろいろあるんだけど、

共通してあらわれるのが、そして見てわかりやすいのが
『身長』だと思う。
一気に身長が伸びる時期でもあるんだ、思春期。
大体まあ、女子が9歳から13歳くらい、
男子が11歳から16歳くらい。
実際自分を振り返っても、女子は13過ぎたあたりから
身長が余り伸びなくなったし、
男子は中学生のときに成長痛に悩まされたのでは
ないでしょーか。例外で高校以降もぐんぐん伸びる子は
いるんだけど、でも「ギャー、身長のびたね!」って
ご近所や親戚のオバちゃんがいうのは、やっぱり中学の時期なのだ。


思春期って、ある日突然なるわけじゃなくて、
こう、体が成長して、性ホルモンがでると、
だんだんなっていくものなのね。
反抗心が出てきたら思春期とか
そういう精神的な基準ではかることじゃなく、

体の変化で『思春期が来た』かどうか分かるものなのです。

だから、発達障碍があったとしても、
多少人より遅れるかもしれないけど、
でも、基本的に11歳過ぎたらやってくるものなんだよ、思春期は。
中身が全然成長してないようにみえても、
恋バナに興味が全く無い子でも、
身長がぐんぐん伸び始めたら、思春期到来です。
プロフィール

まみ

Author:まみ
ひっそりこっそり発達障碍ブログ。スペクトラム注意欠陥女子高校生1号とスペクトラム注意欠陥多動男子中学生2号のオカアサン。宣伝なしのマイペース更新でやっていきます。逃げない、あがく、前をみる。ツイッター「botmamichan」、黒猫アイコン。botが一日2回自動で呟き、手動で不定期投下してます。

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